『回顧録』

副 会 長
岡本 順文
「弓道を始めた理由」
 小生が國學院大學三年生の頃は、神道青年会の溜まり場にいました。ある日、大学弓道部OBの方々が来られ「今度再び弓道部を作るから(太平洋戦争のため廃部)名前を貸してくれ。」と云われ気楽に貸してしまった。
その後、「弓道部の発会式に出席してくれ。交通費は出すから。」と云われ無理に出席させられました。
 大宮八幡神社の弓道場でおばあさんが射かれる弓を、弓道そのものを初めて見ました。
それから、立派なサツキ園で神社の家族とお菓子の会に誘われ(当時は食糧難の時代)、見たこともないお菓子をビックリして食べた事を思い出します。
そして、発会式。
10名程の大学弓道部OBの方々は疎開時に持ち帰っていた戦前の弓具を私たちに下さいました。戦前の部員名簿とともに……。
それから宴会が始まり酒・すき焼き(牛肉・野菜・砂糖・豆腐・こんにゃく・醤油等)、ビックリしましたね。敗戦後の食糧難の時代ですから。すき焼きまでが 出るとは……。
弓道はとても素晴らしいものだと入部を決意したのでした。(結局食べ物につられて……)

「師範・石岡久夫先生との出会い」
 それから毎日勉強を忘れ、授業を忘れ(授業は代返を頼み)、女を忘れて弓を引きました。
間もなくして國學院大學に弓道師範・石岡久夫先生が大学講師兼弓道部監督として就任して下さいました。
小生は初心者ですし先生の最初の弟子です。
弓道の初歩から高度の直衣を着けた矢渡し・天地祓いなども教わりました。
矢・弓・かけの特徴や補正・それらの修理など家庭へ押しかけ家族の皆さんと仲良くなる程に習ったものです。
先生はその頃「弓道教本」の原稿を手掛けていました。私たちはよくその実験台になったものです。特にかけの親指の型でその影響を未だに受けています。写真を撮る手伝い・矢の飛行跡を調べる道作り等今でも思い出されます。
 大学四年生の時では、復興弓道部初代主将を務めリーグ戦では勝ち負けに関わらず最後の一本は的中する事が宿命づけられました。リーグ戦で特記すべきは女子が選手として出場したことでしょう。
 翌年、弓を引きたくて卒業後一年間 大学の神道専修科へ入学し弓道を習いました。楽しかったです。先生の助手の様な手伝いもしました。
また、その頃はよく中たりました。国体予選・先生と一緒に道場破り・五段合格・方々の道場の諸先生方への紹介と射の拝見等多くの事を学びました。

「弓への思い……」
楽しかった一年間が終わろうとしたそんな折、突然浮上した養子の話。
東京での就職の事・大学での弓道助手の事・すべてを忘れ、弓をあきらめて石川県のさらに田舎の孤島、能登島に引き籠もりました。
もう弓は引けないと思いながら……。
(H25.1.21)