『弓とわたしと師と』

監  事
増田 朝子
 弓との出会いは小学3・4年頃です。姉が浦上栄先生を受けており帰省してきた折に弓道というものを初めて知りました。
小学生の私はなぜだか弓道に憧れを抱いて成長し、大学体育会弓道部に入部しました。
当時、女性の先輩は引退直後で、胸当ての仕方もわからず、男子学生の中で私の弓道人生は始まりました。
5.6人一緒に入部した女子も卒業まで続けたのは私だけとなりました。
毎年女子の入部がありましたので、4部リーグから2部リーグに昇格出来、楽しい4年間を過ごしました。
入部当初、皆が的中するようになっていく中で、私だけいつまでも的らず、夏休み前に的るようにしようと、先輩方が暗くなるまで付き合ってくださったのも懐かしい思い出です。
また、だんだんと的中率が上がり、嬉々として実家に報告すると、父からは、『弓が上手になるより、弓によって人と和することを学んでほしい』と諭されました。
ゼミの教授は幸いにも金沢の四高出身でボートで優勝経験もおありの方でしたから、リーグ戦シーズンの時などご配慮頂きました。
まあ文学部卒というより弓道部卒というところでしたから、卒業に際し監督の竹内修先生からは、もはや的中に囚われない弓を引くように、そしてまた社会生活をきちんとしていくようにとご忠告いただき、高桑先生にご紹介頂きました。
在学中には鶴来の大会に出場し2回優勝させていただきました。佐野先生や小柳先生のお世話になりました。
帰省の度に板垣吉兵衛先生にお世話になり金沢に戻ってからは、兼六園弓道場でお稽古しておりました。
お昼休みに上田喬弘先生とお稽古させていただくのが楽しみでした。先生が八段に昇段なさった折に「いつもお稽古の邪魔をしていたようで」と申し上げると『何時も一緒にお稽古してもらったお陰ですよ』とのお言葉。有難い経験です。
北信越大会で長野へ行き汽車時間がなくて北山先生や祐ちゃんマコチャンと走りました。斜面では錬士はとれないぞとハッパを掛けてくださった野中先生。結婚して十年間、弓を休んでいた間にも何かと声を掛けてくださった松尾先生。お陰で再開できました。
再開して、県武道場の教室でご指導くださった松本先生・宮村先生。多くの先生がたのご指導のお陰で今の私があります。
が、今は休眠中です。少し気持ちが萎えています。でもそろそろ再開しなくちゃ!
私の一番最初のアルバムに父の書いたことば。『正直に素直に真直ぐに伸びよ』私が弓を引くようになるのをわかっていたみたい!
 三人行、必有我師
 択其善者而従之
 其不善者而改之
(H24.8.26)