平成26年の幕開け

理 事 長
木下 外治
会員の皆様へ

あけましておめでとうございます

平成26年1月元旦も穏やかに明け早2日目も過ぎようとしています
会員の皆様に於かれましては良いお正月を過ごされておられると思います

昨年中は全日本遠的大会優勝、ねんりんピック交流大会優勝と良いことがたくさんありました

「月刊弓道」2014年1月号 巻頭の「閑話弓題」、水橋会長のことばをご紹介して、今年もより一層奮起したいと思います

2014年(平成26年)1月号 巻頭抱負
@弓道の普及振興・資質向上
A会員の増・広報充実
B競技力の向上・全国大会等の入賞
C危機管理意識の醸成・安全管理の徹底
4本の柱を示し、「全体の風通し(情報公開)、至誠と礼節の徹底」です。これからも会員の心を一つに邁進したいと思います。

今年も一年よろしくお願い致します
(H26.1.2)














七段審査論文を提出して

理 事 長
木下 外治
 始めに「七段審査」射技部門において審査いただいた先生方に御礼申しあげます。またこの論文を考えさせていただけることに対し、応援してくれた弓友や支えてくれた家族に感謝します。
 弓道に出会い始めたきっかけとなるその時のことを不思議と今でもはっきりと覚えています。高校生となり必ずどこかのクラブに入部しなくていけない校則で、ならば高校から始まる弓道部が良いと思い、部室の前をウロウロしていました。
その時1年上の小島先輩が「お前何しとるんや、入りたいなら早よう入れ」と部室の中へ手を引っ張って「こいつ入部希望です」と申し込んでくれました。
この出会いが「弓道」の始まりでした。
 弓道は自分にはとても魅力的でした。自分の行ったこと思ったことが20秒後には結果となって明示されます。
 朝昼晩、朝昼晩「弓」漬けの毎日でした。
80cm弱だった胸囲は1年の秋には90cmとなり、2年の夏には105cmとなり軟弱だった体は驚異的に変身しました。体の発達に伴い精神も少し少し勇気がついてきたように思います。このことが「弓」が私に与えてくれた手始めでした。
それからの10年間は「中てるため弓」「成績を残せるための弓」だったと思います。
中てるためには何でも有で、矢が勝手を離れ弦から離れるまでに押手は的を探したりもしました。
途中10年間弓の引けない時がありましたが、平成3年(1991年)第46回石川国体のとき見物にいくと、懸命に「弓」を引く選手と、その間を甲斐甲斐しくお世話する役員の姿を見ていて愕然としました。自分は何をしていたのだろう、どうしてお世話する側にいないのだろうか、と。
翌年強化部員の端くれに入れてもらえました。
 弓も再開できました。
でも、再開した弓は中てる弓でなく違う弓、「体配」の伴った弓を目指していました。
自分が変われば弓も変る弓が変われば生活も変る。感じ方も変わる。
5月の京都大会のお手伝いをしていた時、「錬士の先生方」と「教士の先生方」の射が違うと感じました。
背中の使い方が違う。「背中」が弓を引いていると思いました。教士とはなんだろう、背中で引く弓はどんなんだろうが課題でした。
がむしゃらに弓を引き、鉄の鏃は1年半で落ちる(※1)ことを知りました。
 一段昇れたことによって見える世界は全く違う異次元の世界でした。
食卓の床面から上を見上げてもテーブルの上に並んだ美味しい食べ物は見ることも食べることもできないのです。
次の七段の世界はどんなだろうか、何が見えるのであろうか、が大きな期待でした。
でも何が今より必要なのか全くわかりませんでした。上に昇った時の異次元の世界を見たくて何か足らないものを無我夢中で捜しました。
わずかなヒントは、押手が飛ぶことでないかと思った事です。そんな時、運命的な出会いがありました。それは平成17年(2005年)1月の講習会でした。「射形には持って生まれたものがあるが心には隔てが無い。全部出し切った射を心がける事。」「気の働きが大切、気には限りがない。気を先に練る事が射を大きくできることだ。」
「背中を張り、胸を緩ます。両肩を緩めた離れをしない。」「馬手肩は背中方向に落とさない。矢筋方向に落し伸ばす。」「残身で両手首が前後上下に動きすぎない。弓巾一張りぐらい。」今まで一人で悩んでたことの答えが目の前にありました。
でもこれを実践することは困難を極めました。見たことができない。思った通りに体が動かないことでした。
目の前の弓に取り組むには今の生活を変えること「尽くして求めず」「滅私奉公」の実践し、意識した生活を習慣させることで、意識した体配が出来れるはず、そうすれば意識した弓も引けるのでないか。
 実践してもがき苦しんでいると「神様」は突然に、ヒントをくれるのです。万人にヒントをくれてるのですが(違う感覚の「射」が引けたとき)、ややもすると見過ごしてしまう。頭に残っても再現できないことの方が多いと思いのです。
これを見逃さない為の訓練を常日頃から心掛けることで神様が万人にくれたヒントを我が物にすることができるのです。全ての動作を頭で制御することができたなら再現ができるのではないか。最初はその違う感覚を再現させることは全くの不可でした。
体が筋肉が筋が頭が覚えてないのです。しかし継続しやり続けていると一つづつ謎が解けてくる。それは数学の難解な方程式が解けた時のように思えました。
体幹に近い所の筋肉の働きがとても重要で、ほんの小さいな筋肉が働くことで全く違った今までに味わったことの無い「射」ができると感じるのです。この「一本」が今まで引いた射の中で一番だと心の奥から湧き上がる喜びを何度も味わえました。
 「弓」を引くことで得たことを「生活」に、「生活」で得たことを「弓」に活かすことで両方が進化するのです。八方ふさがりの中で懸命に壁をよじ登ろうとしているとある日突然、指が引懸り外の世界を垣間見ることができる。外の世界が見えたことで昇る糸口が見えて来るのではないかと思います。
 六段を拝受してから丁度20年この度七段に昇段させていただきました。この間に経験したこと、教わったことに感謝し、沢山の弓友と友達が増えたことに喜びを感じます。
これからも「この一本が今まで引いた中で一番の射だ」と言い切れるよう心に命じた体配を、射を、行います。
まだまだ志半ばだと思っています。これからも精進して神様のヒントを掴んでいきたいと思います。
 結びに今一度恩師の言葉を心にかみしめて今回の七段審査に対して御礼と感謝の気持ちとします。
「射形には持って生まれたものがあるが、射には生まれてから今日までのその人の人生、生き方が年輪となって弓、射に現れる。その人にしか出せない味わいである。」

※1:鏃の先端部がすり減って無くなったこと(広報部注)
(H25.12.17)


スポーツに対して日頃より思っていること

理 事 長
木下 外治
 スポーツをすることによって得られるもの・・それは体の健康や体力などの肉体的なことだけでなく自分と戦うこと 自分を見つめることによって得る精神的向上心を鍛える事に意義があると思います。
 我々「弓道人」は一本の矢を引くことによってさまざまな葛藤をします。
弓を引くことで自己啓発を重ね、自分のできないことを知り、反省と挑戦を積み重ねていけることであります。何故ならば「弓を引く」ことは、「自分の道具」を使い「一定の場所」で「動かない的」に対し「矢」を通すことであり、「相手」はいません。20秒後でる結果の良し悪しは全て「自己責任」であります。
このようなことは「弓道」以外の他のスポーツも、みな同じだと思います。この精神の鍛練と肉体鍛練とを同時にできるのが「スポーツ」の特性だと思っています。精神力を鍛えることで、人を思いやるやさしい気持ちが生まれ、人としての人間形成がなされてくるものだと確信しています。
 ここに先週届いた「Sports japan」という日体協から発刊の情報誌があります。その冒頭で漫画家の「ちばてつや」先生が面白いことを述べています。
先生の作品には*ちかいの魔球(野球)*あしたのジョー(ボクシング)*のたり松太郎(相撲)*あした天気になあれ(ゴルフ)等沢山あります。先生はもともとスポーツが苦手で、部屋にとじこもって絵を描くことが好きな少年であり、漫画家が天職と思っておられました。
17歳でデビューしましたが、2年くらいで病気となりました。寝ようとすると赤いムシが背中から這い出し頭部でバーンと破裂する幻想が現れ悩され続けました。
そんな時”魔球”を描くならと、編集者からキャッチホールに誘われ懸命にボールを投げ返していると季節まだ2月なのに汗をびっしょり、体から湯気が立つほどかいたそうです。
徹夜続きだったのに妙に頭がさえ1回分の連載が朝までにできてしまった。編集者に原稿を渡すや否や深い眠りにおち「赤いムシはでてこなかった」。
病気の原因は極度の運動不足だったそうです。
 先生は今では自ら野球チームを作って1日1回は汗をかくよう心掛けています。ちば先生の最後のところで述べてることは、「締切に追われてかく冷や汗じゃなく、熱い汗をかかなくてはダメだよ」。
目標に向かって、昨日よりも今日、今日よりも明日と、自分を高めようと頑張る人を描きたい。
時には壁にぶつかんだけど、一生懸命ガリガリ壁を削るうちに小さな穴があいて、それを突き破ると、世界が開ける。
そんなふうに、新しい自分を見つけようと頑張る人間
を描きたいと思う。
と結んでいます。
 日頃自分の思っていることを見つけ、たいへん勇気をいただきました。
このようなことが「スポーツ」の持つ特性である思います。特に「弓道」この特性が強く発揮する「スポーツ」であると確信します。
(H25.9.24)


随 想 録』

理 事 長
木下 外治
 平成24年も残りわずか、今年一年を振り返り思い感じたことを書き出してみました。
先の第46回衆議院選挙では自民党が480議席中で294議席獲得し大勝利・・でも投票率は59.32%で最悪とか、しかも比例区の得票率は21%で前回惨敗した時よりも悪いとか・・
 3月17日に「石川県弓道連盟定期理事会」で役員改選があり「理事長」を拝命いたしました。
今まで自分の目の前のことばかりをしてた者にとって、会員皆さんの目となり、耳となり、手足となって動くことは中々難しく正しく伝えられたか、確認モレはないか等疑心暗鬼の世界でした。全弓連、県体協、北信越連合会、北陸連合会、新聞社等々対応したことの無い分野で悪戦苦闘の対応でした。で付いたあだ名がミスッター木下・・
完璧に処置できたことは一度もなかったのではと反省しています。
 4月から7ヶ月余り水橋会長や役員の方々からの手助けを始め会員の皆さんの応援をいただきよれよれながらも新しい年を迎えられそうです。改めて皆様に感謝致します。
 平成25年は今年よりも「前進する、向上する、親睦を図る」ためにはを何をすべきか、何を一番に考え、何を一番に行動すべきか・・これからも皆様からの叱咤激励とご協力
をお願いします。

もう12年も前に受けた講習会でメモしたことをこれからも肝に銘じ、自分自身が「弓道」を通し進むべき道を捜していきたいと思います。

※平成12年5月27〜28日、長野県飯山市で受けた「伝達講習会」でのメモです。
物を計るには「原器」がある。長さを測るには、「メートル原器」。重さを量るには、「グラム原器」があり、時を計るにもグリニッジ天文台の「絶対時間」があり、日本においては明石天文台の「日本標準時」がもっとも正確な時を計るものとして確立されている。
私たちが今持っている時計は全てまがい物で単なる目安でしかないこのようにそれぞれの事柄について、何が正しいか、何が基準になるかという事のためには絶対的な基準「原器」が必要となる。
では、「弓道」においてのそれは何であろうか。「弓道教本」が「原器」となるものであることは疑う余地もない。だが、その解釈としたら長さや、重さ、時を知る事より曖昧で捕らえどころが無く誰もが皆一様に納得できるものでない。
これは全員が周知のことでしょう。
「真・善・美」という抽象的な表現であるためややもすると自己中心的となり自分の殻を作り易く、「自分の尺度」で判断し、「的中」すれば全て良しという世界へ入り込んでしまう。
お互いに切磋琢磨し、「自分の持っている尺度」がどれだけ「弓道の原器」と違いがあるか、又それを自覚できるかが大きな問題だと思います。自覚する事ができればより正しい事に近ずける事はさして難しい事ではない。
そのためにも、講習会や、研修会に進んで参加し「自分の殻を破る」努力が必要です。
「的中」は、「技」が習熟すれば付いてきますが、自分の精神を進歩させるためには、けっして過去を振り返ることなく、「弓道の原器」に対して、一歩でも近ずくために「自殻打破」し、修練を日々積み重ねることしかないのでしょう。

来たる新しい年平成25年も会員の皆様にとってより良い年となりますようご祈願します。
(H24.12.18)